音楽に潜む宗教/あなたの無意識に語るヒット曲

宗教画

音楽は宗教の布教のツールとして使われたことは、「音階と音律の歴史」にてご紹介しました。もちろん現在においても、意図的か無意識的か、または商業的かにおいても、題名や歌詞に宗教的な要素が含まれています。

今回は、そんなポピュラーミュージックの宗教を覗いていきましょう。

【音階×音律】歴史/ドレミの誕生
【音楽史】音階と音律の科学。ドレミの誕生とピタゴラスのひらめき。音楽と宗教の関係。純正律と平均律。マラン・メルセンヌは数学者だった。絶対音感は必要?音楽理論初心者、楽器入門者に向けてわかりやすく解説。

洋楽ロックの宗教

皆さんご存知の通り、アメリカ社会ではキリスト教が浸透しており、ゴスペルなどの宗教音楽が盛んに発展した土地でもあります。

ちなみにアメリカの調査機関「ギャラップ(The Gallup Organization)」によれば、2017年においてアメリカ人の87%が『神を信じている』と答えています。

実は現代のアメリカでも、幼少期からゴスペルや讃美歌などの教会音楽に慣れ親しみ、歌唱力を上げ歌手になる(歌手を目指す)という路線はまだあり、そういった経歴の彼(彼女)たちが作詞作曲した曲には、少なからずキリスト教的なニュアンスが含まれるかもしれません。

ただやはり、幼少の頃から教会音楽に触れ合ってきた経験から、かなり歌唱力の高い方が多いのではないでしょうか。

例えば、クラッシクや教会音楽を基礎とし、荘厳なサウンドを繰り広げるエンヤさんは、修道院寄宿制学校に通っていた経歴があります。(エンヤさんの父親はバンドマン、母親は音楽教師で、音楽に囲まれた家庭であった)

sad to say」で圧倒的な歌唱力を披露した、J-POP女性アーティストのJasmineさんも、ゴスペルがバックボーンにあることを公表されています。

元祖ロックスター「エルヴィス・プレスリー」

もちろん信仰が深くあったから、ゴスペルや教会音楽に関心を持ったというわけではないというミュージシャンもいるでしょう。上記でご紹介したJasmineさんは、まさにゴスペル音楽の持つ魅力に惹かれ、それが歌うことの始まりになったのではないかと思います。

ゴスペルの持つ魅力に感化されるということは過去からあったことであり、元祖ロックスターのエルヴィス・プレスリーは「本当はゴスペルが歌いたかったのでは」という説もあります。

エルヴィスは教会に通っており(礼拝)、バックコーラスグループには4人の白人男性から成る「ザ・ジョーダネアーズ」というゴスペルグループを率いていました。

エルヴィス自身が生涯で発表したゴスペル・アルバムは「His Hand in Mine」「How Great Thou Art」「He Touched Me」の3作です。

エルヴィスの代表作「好きにならずにいられない(Can’t Help Falling Love)」では、数々の聖書(キリスト教の教典)の言葉が登場します。

「罪(sin)」はキリスト教の信仰において「原罪」という観念から極めて重要なもので、「原罪」は、最初の人間であるアダムとイヴがサタンによって誘惑されたことで知った性の快楽だと解釈されており、そのことから「恋愛」そのものや、男女の関係が罪であるというとらえ方もされるのです。

「愚者(fool)」も聖書によく出てくる言葉で、全知全能の神からすれば、人間は愚者にほかならないという例えが出てきます。

さらに「川(river)」という言葉が出てきており、流れ続けるものである人生の象徴ともとらえられ”そうした川は神が定めた運命だと”とらえられます。

もちろんキリスト教の信仰に直接的に結びつくかは、解釈の余地はあります。

神に関心を持たなかったビートルズ

イギリスを代表する、世界で愛されるビートルズについては、信仰に関心を持っていなかったようです。

ビートルズの曲名を見てみると、「Love Me Do」「Boys」「Baby It’s You」「Money」「Hey Jude」など、曲名はシンプルでわかりやすく、意図した深い意味があるようには思えません。

もちろんそこがビートルズの持ち味でもあり、歌詞の単純さ・同じ歌詞フレーズを繰り返す・誰にでも理解できる・かつ耳に残りやすいというポイントがあります。

その歌詞にはイエスや神が現れることもなければ、英語特有の人称代名詞による暗示するようなこともありません。そんな中、1曲だけ宗教とのかかわりが指摘される曲があります。それが「Let It Be」です。

ビートルズの「Let It Be」は、歌い手が悩んでいた時、母のメアリー(Mother Mary)がやってきて、「Le it be.(あるがままに)」という知恵の言葉を言ってくれた、というところから始まります。

「Let it be」という言葉は、新約聖書の「ルカによる福音書」大1章第38節に出てくるもので、「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』そこで天使は去って行った」となっており、「この身に成りますように」の部分が「Let it be」になります。いわゆる「受胎告知」で、聖母マリアが神の子イエスを身籠ったことを告げられた場面です。

作詞作曲を担当したポール・マッカートニーは、そこを歌詞をの元にしたのではないか、という説がありますが、ポール自身はそのことを認めていません。

ベストセラー「葬式は、要らない」でお馴染み、日本を代表する宗教学者島田裕巳(しまだひろみ)先生は、著書「ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのか」で、このことについて言及しています。

だか、ポール自身は、そのことを認めていない。”Mother Mary”をキリストの母親としてのマリアではないというのだ。その点についてポールは、彼についての評伝であるジェフリー・ジュリアの『ブラックバード ポール・マッカートニーの真実』のなかで、この歌詞ができたのは、夢のなかに一四歳のとにき亡くなった母親が出てきたからで、それが励みになり、「僕が一番みじめなときにメアリー母さんが僕のところへ来てくれた」という歌詞を思いついたとしている。

これで”Mother Mary”が登場する理由はわかるが、なぜその母親が”Let it be.”と言ったのかはわからない。”Mother Mary”と”Let it be.”とは、「ルカによる福音書」において密接に結びついているわけで、ポールはそれを無意識のうちに記憶していて、それがここで甦ってきたと考えることはできる。

ただここで問題にしなければならないのは、”Mother Mary”という表現である。私たちは、これを聞いたとき、直ちに「聖母マリア」という訳語を思いつき、イエスの母親のことだろうと考えてしまう。ところが、西欧において、マリアに言及されるとき、一般には”Virgin Mary”としてであり、”Mother Mary”という表現が使われることは少ない。その点で、ポール自身が言うように、これはイエスの母、マリアのことではなく、ポールの母、マリアのことであるという解釈が成り立つ。ただ、”Let it be.”のこともあり、ポールの無意識の世界が表出されたのだという可能性は残る。

ジョン・レノンの発言

一方で、ビートルズの顔であるジョン・レノンは、宗教に対しては否定的であったように思われます。1966年3月4日付けの「ロンドン・イヴニング・スタンダード」紙に掲載されたインタビューでは、ジョンが『僕らはいまやイエスより人気がある』という発言をし、のちに他国からも批判され、バチカン(ローマカトリック教会総本山)は公式にジョンを批判しました。

その後にジョンが出した「ジョンの魂」というアルバムには、「God(神)」という曲がふくまれています。この「God(神)」という曲では、神は我々の苦痛の程度を計るための観念にすぎないと主張し、魔術や易経、聖書、ヒトラー、イエス、ケネディ、ブッダなど、信仰の対象となるものは信じられないと歌われます。

ちなみに”Oh my god!“という言葉を一度は聞いたことがあると思いますが、宗教の違いがある多民族が多い国(アメリカなど)や、クリスチャンの前などで、軽々しく神の名を発さないということから、”Oh my gosh!“と、言い換えらることがほとんどです。

ジョンの代表曲の1つ「イマジン」においても、冒頭で天国がないことを想像してくれないかと歌われ、さらには国家のない世界を想像するように求め、そうすれば、そのために殺すことも、死ぬこともなくなるとともに、宗教もない世界を想像するように求められています。

ですが後々に、ジョンの「僕らはイエスより人気がある」という問題発言から、イエスに関するたくさんの本がジョンに送られ、ジョン自身の考えも変わったようです。

ジョンの発言では「宗教を勉強するようになって、人間関係を良くするべく努力するようになった」「英国教会があまり宗教的ではないことも分かった。宗教と政治は両立しないだろう」など、どうやら制度化された宗教に対しては否定的だが、宗教が説く教えや思想、哲学については評価し始めたようです。

日本人の信仰

続いて、我々日本人の信仰心について、もう少し深く探っていきましょう。まず我々日本人が宗教について十分な時間をもって学び、それについて考えることはほとんどありません。しいて言えば、学校教育の中で歴史の授業中に試験問題として勉強したくらいでしょう。

もちろん日本にも、キリスト教やイスラム教など以外の新宗教と言われる団体も含め、いくつもの宗教団体があり、多くの方が入信し布教活動をされています。

ですがほとんどの方々は特定の宗教団体には属せず、「自分は無宗教だ」と思ってる方が多いのではないでしょうか。

本当に日本人は無宗教なのか

「無宗教」という言葉には、”特定の宗教を信仰しない・信仰をもたない”などの意味があります。

では「信仰」という言葉は、神や仏、ある宗教を信じて、その教えをよりどころにすること、または証拠抜きで確信を持つこと、などが意味にあります。

無宗教で信仰がないと思っている日本人でも、資格や受験などの試験や、スポーツの試合前、または恋愛が上手くいくよう神頼みしている方は珍しくありません。

さらに多くの国民がお正月は初詣に出かけ、お葬式は仏教方式で行い、お墓参りも定期的に行き、結婚式では神父を呼び神に誓います。

つまり特定の宗教に入っていない、または無意識的にせよ、信仰心がある方がほとんどなのです。

そんなある意味宗教的に免疫力が著しく低い我々日本人が、些細なキッカケで陥りやすい行先は、スピリチュアルや占い、カルト宗教に向かってしまう方々がいます。

前世から君を探していた

日本人によく見られる宗教的言動としましては、神道をはじめとする八百万の神(やおよろずのかみ)から、お米1粒に8つの神様が宿るなど言われています。

一方で海外で見られるように一神教の宗教に強い信仰を持っている方々では、守護霊や占い師の言うことに耳を傾け、すんなりと言うことを聞くということはありません。それぞれの「神」が絶対であり、そこが日本人の宗教観とは大きく違います。

植村花菜さんの大ヒット曲「トイレの神様」では、まさしくトイレまでもに神様がいるというような歌詞になっています。もちろん”トイレの神様”は歌詞に登場する”おばあちゃん”の例えではありますが、うまく日本人の宗教観とマッチしています。

大ヒットアニメ映画『君の名は』の主題歌「前前前世」の歌詞では、”前世から君を探していた”という趣旨の一文があり、輪廻転生の概念を含んでいます。さらには「また0から宇宙をはじめようか」という一文は、我々不完全な人間に対して、神が作り上げた宇宙を想起させます。

いくら輪廻転生の生まれかわる論理や、前世での行い(カルマ)の要素が含まれていようと、おかまいなしに感受するのが多くの日本人です。

なぜ輪廻転生の思想は危険なのか

輪廻転生の論理としましては、魂(アートマン)にはデータベースがあり、現世(この世)で生きていくたびに更新されるということです。

そこには業(カルマ)があり、もし悪いことをしてしまっていたら、カルマが積み重なって次の来世に悪い影響を及ぼすというもので、そのためには殺してもよいという論理で、宗教の違いから起こる戦争があります。

または、「あなたの前世での行い」という文句を皮切りに、現世利益または来世利益のための金銭的搾取を行うカルト宗教、悪徳な霊媒師、占い師が多く存在します。そんな宗教観を、我々日本人の無意識に刷り込んでいるのは、テレビ業界やメディアの力がありました。

2大スターとなった細木数子と江原啓之

映画やドラマでも、生まれ変わりや、主人公が生き返るという作品は、”ホラー”ジャンル以外にも数多くあります。「黄泉がえり」「いま、会いにゆきます」など、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。

フィクションな作品以外にも、テレビのゴールデンタイムに、細木数子氏と江原啓之氏の番組が放映されていたことも記憶に新しいと思います。

細木数子氏は、占い師特有の話し方に加え毒舌なキャラクターで一躍視聴率女王となり、江原啓之氏は物腰柔らかな、愛嬌のあるスピリチュアル霊能師として「オーラの泉」で一躍有名になりました。

(生粋のジャーナリスト・溝口敦さんによる細木数子氏をテレビ降板へと落とし込んだ1冊)

それより以前では、後にサリン事件をはじめ数々の事件を起こしてきた、オウム真理教の教祖、麻原彰晃(本名:松本智津夫)までもテレビに多数出演していた時期があります。

そんなメディアの風潮に危惧を発する識者や団体も多くあり、認知科学者の苫米地英人博士は著書「スピリチュアリズム」の中で、カルト宗教やスピリチュアル的な思考についての危険性を解説しています。

二〇〇六年一二月九日、埼玉県川越市の中学二年の男子生徒(一四才)が自宅マンションから飛び降り自殺をしました。同日付の毎日新聞によれば男子生徒は遺書のようなメモを遺しており、それは「霊界の話を紹介するテレビ番組を家族と観たことに触れて、『絶対おれは生まれ変わる。もっとできる人間になってくる。家族のみんな忘れないでいて。必ず会いに来る。ホントにゴメン、サヨナラ』」という内容でした。すでに未来ある少年の生命が奪われているわけです。事は緊急を要します。

根本的な問題は、今の世の中がスピリチュアルなものに対して肯定的に動いているということです。二一世紀はスピリチュアルに対して否定的に動かなければいけません。

しかし現実には、どうしてもスピリチュアルにはまっていく人がいます。私の知り合いの若い女性にもたくさんいますが、たとえば彼女たちに、「(スピリチュアルなんかにはまっているような君たちは)明日から世の中に出てくるな」と批難しても仕方なくて、そういう人たちが何とか「この世」で生きていけるように支えてあげるしかありません。しかし大の大人がテレビの番組で「霊がいる」と言うのはダメです。

つまり、テレビという公共の電波でそういう発言は、すでに放送コードに引っかかっているということです。

本の中では続いて、全国霊感商法対策弁護士連絡会が民放連に提出した要望書を取り上げています。

「霊能師と自称する人物が一般には見えない霊界やオーラを見えるかの如く断言し、タレントがそれを頭から信じて動揺したり感激してみせるような番組」や、「占い師がタレントの未来を断定的に預言し、言われたタレント本人や周囲の人がこれを真にうけて本気で応答しているような番組」がたびたび放送されている。そして、このような番組は「社会的経験の乏しい未成年や若者、主婦層の人々に、占いを絶対視し、霊界や死後の世界を安易に信じ込ませてしまう事態」をもたらし、霊感商法や宗教的カルトの勧誘を容易にする素地を作っています。テレビ局に「いきすぎを是正する措置」を講じることを求めます。

出典:全国霊感商法対策弁護士連絡会

ミュージシャンはどう発信すべきか

ここまで宗教とポピュラーミュージックの関わり、そしてスピリチュアルの危険性を見てきましたが、では発信者であるアーティスト、ミュージシャンはどう注意すべきか、について考察したいと思います。

特定のファンをかかえるアーティストの場合、そこにはファンの圧倒的な好意があり、ファンはラポール(心理学用語:心が通じ合っているという感覚)を強く感じており、ある意味アーティストが教祖様となっています。

とくにライブなどでは臨場感ある空間を共有しているわけで、それこそストックホルム症候群ではありませんがその臨場感空間を支配しているアーティストに強く惹かれるわけです。

やはりそこで注意したいのが、特定の宗教、またはスピリチュアル的な素地を作ってしまうような発言、曲などを間違っても発表してしまわないよう気をつけなければいけないのではないかと思います。世界各国でも「表現の自由」は認められていますが、皆さんはどう考えるでしょうか。

おわりに

今回はポピュラーミュージックの宗教史、そして日本人の信仰心を考察してきました。もちろん音楽や映画は、フィクションの世界でありビジネスです。多くの利益を生み出す作品が高評価を得られる現代では、まだまだ間違った誤解を与えてしまう作品が出てくることは考えられます。

しかし宗教について正しい知識を持つことで、騙されることや悲惨な事故は少なからず減少するのではないでしょうか。

タイトルとURLをコピーしました